サラリーマン3年目の違和感「仕事は自分で見つけるものだ」【雑記屋!】
どうも、ケスイケリーガです。
今回はサラリーマンとして3年目に突入した私が思う「仕事は待つものじゃない。見つけるものだ」の違和感について書きます。
「仕事は待つもんじゃない!自分で見つけるもんだ!」の違和感
どこかで聞いたことのあるこのセリフ。
仕事は待っていて与えられるものではないから自分で頭を使って仕事を見つけなければならないという意味でおおよそ間違いはない。
直接言われたことはないが、日々の仕事の中で暗黙のうちにこの言葉が突き刺さってくる時がある。
もしこれが、フリーで働いている人やスポーツ選手や職人のような業種の人が言うならわかるんです。
でもね、サラリーマンがこのセリフを言うのはすごーく違和感があります。
そもそもサラリーマンってなんだっけ?
「仕事は待つもんじゃない!自分で見つけるもんだ!」このセリフ自体に違和感を持っていたり否定的であったりするわけではなく、サラリーマンがこのセリフを言うことに違和感がある。
そう、つまりサラリーマンに限定するとどうしてもおかしなことを言っているなと思ってしまうのだ。
なぜサラリーマンだと違和感なのか。その理由はサラリーマンの特徴にある。
大企業から中小零細企業まで多くの規模の会社が存在するがサラリーマンの特徴は会社規模には関係がない。
サラリーマンはあくまで雇われの身であり、その労働の対価として給料をもらう仕組みだ。
いわばサラリーマンの一ヶ月の価値は給料の金額で示される。
どんなに悲しいことがあれ、
嬉しいことがあれ、
大変なことがあれ、
楽なことばかりであれ、
どんなにモノを売ろうが、
どんなに良いサービスを提供しようが、
サラリーマンのあなたの一ヶ月の価値は給料の額面
なのだ。
たとえば、新入社員の多くは20万前後の給料だろう。つまり、新入社員が存在する一ヶ月あたりの価値は20万程度。給料で考えたら普通じゃんと思うかもしれないが、「君の一ヶ月20万円で売って」と言われたら安くないだろうか。
次の給料日の前日にはほぼ残ってなく、ろくに貯金もままならない程度の金額が新入社員という人間の価値だ。
しかし、それは逆も真であり、それっぽっちの価値の分だけ働けばいいというのもサラリーマンの特権だ。
もちろん、解雇される可能性はあるが、最低限のことをきちんとこなしておけば、解雇を心配する必要はないだろう。解雇されない程度に、給料の額面程度の価値を提供すればよいということなのだ。
「仕事は自分で見つけるもんだ!」の特徴
この言葉はなかなかサラリーマンには残酷で強烈だ。
常にこの言葉は上司から部下へ、上から下へ投げかける言葉だといえる。
会社という組織において、上というのは下の労働力を用いる側の人間である。
その人間が下の人間に対して、「仕事は待つもんじゃない!自分で見つけるもんだ!」と言うのが相場で決まっている。
「お前は給料額面分の仕事はもちろん、それ以上の価値を提供するべきだ!」
「でも、給料額面分の給料は支払わないけどな!HAHAHAHAHA」
と言っているように聞こえるのは私だけだろうか。
違和感の正体はこれだ!
ここまで読んでいただいた方は、この違和感の正体はわかるだろう。
この違和感の正体はサラリーマンの特徴と上の立場から発せられる「サラリーマンのあるべき論」の交差する点で矛盾が起こっていることだ。
サラリーマンは「給料の分だけ仕事します」と主張する一方、会社という組織では、余力を残すことなく給料以上の働きを求められる。
相互の意見の相違が違和感の正体だ。
最後に
実際のところ、みなさんはどうお考えでしょうか。
終身雇用で長く務めることを前提であれば、百歩譲ってこのセリフの意図することは理解できますが、いまのご時世終身雇用に身を任せるのは恐ろしすぎます。
組織ではなく個人が台頭する世界はすぐそこまで来ていますよ。
私はサラリーマンの長所を最大限享受し、短所を最小限にして、自分の力を磨いて行く必要があるな日々感じています。
そのためにも資産運用等のお金の面の準備がとても大切なわけです。
それでは、グッバイ!