友人が結婚していく。なぜ焦りが生まれるのか。【人生屋!】
どうも、ケスイケリーガです。
書きたいことがたくさんある26歳独身男子ですが、今回は「結婚」と「焦り」についてです。
高校時代の親友から結婚すると報告を受けた5分後に勢いで書いています!!
高校の親友が結婚するってよ!
いやー、久しぶりに「めでたい!」と叫んでしまいました。
高校時代の親友が結婚すると報告をくれました。
もちろん、知り合いで結婚している人はそこそこ増えてきましたが、とっても身近な友人の結婚は初めてで、なんか自分のことのように嬉しくて一人で興奮してます。僕にも可愛い彼女・婚約者・奥さんを恵んで欲しいです。
とってもめでたくて嬉しい気持ちでいっぱいなのですが、どこかに「焦り」のような気持ちがあることも正直なところ
結婚はいつかしたいと思ってますが、特別に結婚願望が強いわけでないですし、今まで結婚に対する「焦り」なんて抱いたことがなかったんです
それが、身近な友人の結婚報告を聞いて、初めて「焦り」の感覚に陥っています
なぜ友人の「結婚」が「焦り」を生むのか
なんで友人の「結婚」によって僕に「焦り」という気持ちが生まれるんだろう
だって、友人の結婚は僕の人生には直接影響のないこと、友人は友人、僕は僕なはず。
頭ではわかってるんだけど、どうにも焦っている
僕は今26歳だが、同級生の女の子たちが焦っているという話はよく聞く。
それは理解できるし(男の僕が想像するレベルで)、僕が女だったら多分めちゃめちゃ焦って早く結婚したがると思う
若さってやっぱ強いし、元気な赤ちゃんが欲しいし、子供が育った時に若いママでありたいし。いろいろあるんだろうけど、僕が女だったらこんなことを考えるんだと思う
でも、男の僕が、しかもまだ26歳の僕が、「焦り」を抱くってなんなんだろうか
考えてみる
もしかしたら自分は「結婚」できないのかもしれないという「焦り」だろうか。
そもそも結婚に至るまでの相手に出会えないかもしれない、自分の決心がつかないかもしれない。頭のどこかでそんな危機感にも近いものがあって、「焦り」の気持ちが生まれたのだろうか。
でも、もしそうだったら、常日頃からその焦りと対峙しなくてはならないはずだ
僕は親友からの結婚報告を聞いて初めてこの「焦り」が生まれたわけだ。
となると、「結婚」そのものに対してではなく「親友が結婚した」ということに焦っているのかもしれない。
こういう表現が適切かはわからないが、「親友が僕の知らない世界に行ってしまった」
そして、僕は「この世界に取り残された」。
この焦りだったらなんとなくわかる
自分と同じ立場・境遇だと思っていた人が突然異なるサイドの人になってしまうことはよくある
そこで浮き足立って自分も何かしなくてはと行動する姿は色々なところでみる構図だ
例えば、いい儲け話があって自分は疑っているんだが、周りの友人たちがその儲け話に賛同する。気づくと自分は取り残されていて慌ててその儲け話に乗るとか。
どっかの国の与党の政治家たちが、希望の党とかいう新参者に対して余裕ぶっていたら民進党が希望の党に合流して、あれあれ自分も希望の党に鞍替えした方がいいのかと慌てるとか。
似たような話はどこにでもよくあるが、僕の「焦り」もこの類のものなんじゃなかろうか
そうだとしたら、「焦り」に身を任せず、自分の道を着実に歩いて行った方が良さそうね。
どちらにせよ、どんなに焦ったって自分はまだまだ「結婚」に踏み切れないなー
それでは、グッバイ!